岸の柳

Kishi no yanagi

明治六年(1873) 作詞:柳屋梅彦 作曲:三代目 杵屋正次郎


” 緑の髪に風薫る ──

 ─ 柳の眉のながし目に ”



歌詞

〈本調子〉 筑波根(筑波嶺)の姿涼しき夏衣 若葉にかへし唄女が 緑の髪に風薫る柳の眉のながし目に  その浅妻をもやひ船 君に近江(掛詞:逢ふ身)と聞くさへ嬉し しめて音締めの三味線も  誰に靡くぞ柳橋 糸の調べに風通ふ 岸の思ひもやうやうと届いた棹に 

〈三下り〉 家根船(屋根船)の簾(すだれ)ゆかしき顔鳥を 好いたと云へば好くと云ふ  鸚鵡返しの替唄も 色の手爾葉(てには)になるわいな しどもなや

〈本調子〉 寄せては返す波の鼓(つづみ) 汐のさす手も青海波(せいがいは) 彼(か)の青山の俤(おもかげ)や 琵琶湖をうつす天女の光り  その糸竹の末長く 護り給へる御誓ひ げに二つなき一つ目の 宮居も見えて架け渡す 虹の懸橋両国の 往来絶えせぬ賑ひも 唄の道とぞ祝しける


解説

この作品は明治6年(1873)のものですが明治維新以来6年目であり、この年に政府は太陽暦を採用しました。そのためにこの作品では旧暦での江戸を描写した最後の作品ともいえます。

内容は、柳橋芸者の姿を描いたものであり、これを近江の琵琶湖東岸の浅妻が船宿のある遊里であることにかけて柳橋をきわめて軽いタッチで描いています。

長唄の当時の風潮はといえば、明治政府の意向から能とのコラボにより、より堅いイメージの強い曲が作られています。例えば、綱館、靭猿、船弁慶などがそうです。


また、幕末から明治初期にかけて端唄が流行していたこともあってこの「岸の柳」にはそうした長唄らしくない雰囲気もあります。 勿論、明治政府は廓などでの色物に対しては厳しい目がありましたが「岸の柳」はむしろそうした部分を避けながら柳橋のムードを軽いタッチで描いています。

作品名の「岸」というのは諸説がありますが、一つには岸田門三郎という人が作詞者の恋敵であったことからつけたともいわれています。


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