Fuji musume
文政九年(1826)九月 作詞:勝井源八 作曲:四代目 杵屋六三郎
” 染めてうれしきゆかりの色の
─ いとしと書いて藤の花 ”
歌詞
〈三下り〉 津の国の 浪花の春は夢なれや 早や二十年の月花を 眺めし筆の色どりも書き尽くされぬ数々に 山も錦の折を得て 故郷へ飾る袖袂
[鼓唄] 若紫に十返りの 花をあらはす松の藤浪 人目せき笠塗笠しゃんと 振りかたげたる一枝は 紫深き水道の水に 染めてうれしきゆかりの色の いとしと書いて藤の花 エエ しょんがいな 裾もほらほらしどけなく 鏡山人のしがよりこの身のしがを かへりみるめの汐なき海に娘姿の恥かしや 男心の憎いのは ほかの女子に神かけて あはづと三井のかねごとも 堅い誓ひの石山に 身は空蝉の から崎や まつ夜をよそに 比良の雪 とけて逢瀬の あだ妬ましい ようもの瀬田にわしゃ乗せられて 文も堅田のかた便り 心矢橋の かこちごと
※この間「潮来」が入る場合と「藤音頭」が入る場合がある
〈三下り〉 松を植ゑよなら 有馬の里へ 植ゑさんせ いつまでも 変はらぬ契りかいどり褄で よれつもつれつまだ寝がたらぬ 宵寝枕のまだ寝が足らぬ 藤にまかれて寝とござる アア何としょうかどしょうかいな わしが小枕お手枕 空も霞の夕照りに 名残惜しむ帰る雁がね
解説
この曲は文政9年(1826)、江戸中村座において初演の五変化所作事の一つとして演ぜられたもので、当時江戸で人気のあった関三十郎という上方の人気役者が大坂へ帰るということで、そのフィナーレを飾る出し物として演じられた舞踊曲です。
作曲は4世杵屋六三郎です。内容は、当時お土産物として人気のあった近江の大津絵の題材の一つである「藤娘」からヒントを得たもので、藤の花の精が人間の男に恋して大津絵から抜け出したという発想です。
藤の花のようにきれいで愛想良ければ、良縁を得るということでこの絵は人気があり、また、大袖振り、人目をしのぶ塗り笠をかぶっての物見遊山の藤娘のイメージというのは、元禄文化のシンボルともいわれています。
「紫深き水道の水は~」とは、紫草という武蔵野に自生する植物、さらには当時の上水道を設備した江戸をイメージする題材です。
「水道の水で産湯を使う」とは江戸っ子の粋をあらわしています。これに染まって御贔屓を得たということで、この役者の江戸に対する感謝の意味が含まれています。
「いとしと書いて~」というのは「いとし」と一続きに書くと藤の花房の形に似ているからだといわれています。
ここでも中国の故事に倣って、「近江八景」を掛け言葉として詠んでいます。
「文も堅田の片便り」とは手紙をやっても返事が来ない一方通行のことを意味します。
三下がりの「松を植よなら~」からの軽快なリズムは「有馬節」といって、有馬温泉にいた藤という遊女のことを唄ったものですが、ここでは女心を広く唄ったものと考えてよいでしょう。
また、次の「潮来出島の~」は「潮来節」といわれるものですが、潮来は江戸時代、東北と江戸とを結ぶ水運の中継地であり、人々の行き来が多く、ここ潮来の遊郭で流行ったものです。 藤娘の美しい舞台姿をイメージされてお聴きになるとよろしいかと思います。
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