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五郎時致

Goro tokimune

天保十二年(1841)七月 作曲:十代目 杵屋六左衛門


” いつか晴らさん父の仇

 ── 十八年の天つ風 ”



歌詞

〈本調子〉  さるほどに 曽我の五郎時致は 倶不戴天の父の仇 討たんずものとたゆみなき  弥猛心も春雨に 濡れてくるわの化粧坂 名うてと聞きし少将の 雨の降る夜も雪の日も  通ひ通ひて大磯や 廓の諸分のほだされやすく誰に一筆 雁のつて 野暮な口説を返す書  粋な手管についのせられて 浮気な酒によひの月 晴れてよかろか 晴れぬがよいか  とかく霞むが春のくせ いで オオそれよ 我もまた いつか晴らさん父の仇 十八年の天つ風  いま吹き返す念力に 逃さじやらじと勇猛血気 そのありさまは牡丹花に つばさひらめく 胡蝶のごとく  勇ましくもまた 健気なり

〈二上り〉  藪の鴬 気ままに鳴ひて うらやましさの庭の梅 あれそよそよと春風が  浮名立たせに 吹き送る 堤のすみれ さぎ草は 露の情けに濡れた同士 色と恋との実くらべ  実 浮いた仲の町 よしやよし 孝勇無双のいさをしは 現人神と末の代も  恐れ崇めて今年また 花のお江戸の浅草に 開帳あるぞと賑しき


解説

天保12年(1841)の六左衛門の作品で、小鍛冶とほぼ同じ系統の作品といえます。 頼朝の富士の巻狩りで十郎、五郎が父の仇と工藤佑経を討つという日本三大仇討の一つとして知られたもので、表題からしますと堅い感じがしますが、内容は曽我の五郎が仇討の機会をうかがうその合間に、なじみの遊女との化粧坂の郭通いを舞踊化したもので、変化舞踊のひとつです。仇討と愛人の話というのがどうやら当時人々に人気があったと思われます。

少将というと男性を連想しますが、曽我五郎の愛人の名で中国の故事に倣っています。 「18年の天つ風」とは空を吹き渡る風には18年目に逆方向に吹くという故事にならったもので、父が討たれて仇討までが丁度18年と重なり、これを千載一遇のチャンスととらえるわけです。

「廓(さと)の諸分け」とは遊郭でのしきたり、慣例のことを指します。 終わりで、大磯の遊郭から江戸吉原、浅草での御開帳へとワープしますが、これも技法のひとつといえます。長唄熟成期の小品です。


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