廓丹前

Kuruwa tanzen

安政四年(1857)五月

作曲:二代目 杵屋勝三郎



歌詞

俳優の昔を今に写絵や 及ばぬ筆に菱川の 寛闊出立廓通ひ 姿彩どる丹前は 今日は晴なる初舞台


〈二上り〉 

よしや男と名に高き 富士の白柄まばゆくも 紫匂ふ筑波根の 

腰巻羽織六法に 振ってふり込む やっこのこのこの 酒ならねぢきり いろ上戸 

恋の取持してこいまかせろ しょんがえ 花にも優る伊達な風俗 

抑や廓の始まりは 遠つ元和の四ツの年 庄司何某禰宜町へ 五ツの街開きてより 

揚屋の数も大門に 三千楼の色競べ 先つ初春の飾夜具 蓬莱山と夕まぐれ 千本の桜仲の町 

翳す扇の目せき笠 コイヨネイと一と声を ほぞんかけたる時鳥 お供帰りの酒機嫌 

謡ふ小唄の土手節に かかる山谷の草深けれど 君が住家と思へばよしや 玉の台もおろかでござる 

余所の見る目もいとはぬ我ぢゃよ お笑ひやるな名の立つに 姿見かへる葉柳の 

結んで解いた雲の帯 掛けし屏風の雀形 比翼枕の暁に 鵲渡す天の川 星待合の辻うら茶屋に 

七夕さんのころび寝も きぬぎぬ早き草の市 軒端を照らす花灯籠 その八朔の白襲ね 

雪の素顔に鉢巻しゃんと 月に仁和賀の勢ひ獅子 やアしめろやれ 

〆て寝た夜は枕が邪魔よ ヤア可愛可愛の相槌の音 ヨイヨイ ヨイヤナア エイエイ エイヤナア 

やれこれこれは手がそれたか いとしけりゃこそ おいどをちっくりたたいた 

ヨイヨイ ヨイヤナア よいとな やア〆ろやれ よいサよいサよいこれはのサ 

そっこでしめろ中綱 よく咲揃ふ花紅葉 秋葉祭の冬の来て 門に松竹年の関 

大晦日の大神楽 狐で浮かせ うかれ浮るる浮拍子 実に全盛は闇の夜も 吉原ばかり月と花 

柳の廓寿きて 目出度く揚屋に入りにける


解説

安政4年(1857)の二世杵屋勝三郎の作曲による舞踊曲です。

吉原の起源に始まり、吉原の紋日、この日は物入りが多くお金がかかるので客は寝込んだ振りをするといわれていますが、その様子や、四季の行事を唄いこんだ華やかな曲の一つです。


「よしや男」から「花にも勝る伊達な風俗」で、江戸で大はやりした二上がりの派手な拍子で登場人物を紹介し、次に廓の由来を述べて、三下がりで「まず初春の」からは廓の四季の行事などを土手節で紹介し、最後の「げに全盛は」で段切りとなります。


曲名の廓丹前のことですが、なぜ丹前というかといいますと当時、神田連雀町の松平丹後守の屋敷の前に風呂屋(湯屋)が立ち並んでおり、これを「丹前風呂」と呼んだことに始まります。

当然のことながら湯屋には美人の湯女(ゆな)が居り、そこに通う「よしや男」つまり金も力もある粋な男達が丹前風と呼ばれる姿で練り歩いたことから来ています。


「ほぞんかけたる」というのは、ホトトギスの鳴き声を表しています。

また、「やあ、しめろや」は木遣りの文句ですが、ここから珍しく木遣りをたっぷり聞かせる長唄となっています。


元吉原は歌の中にも出てくる庄司何某、つまり庄司甚左衛門という小田原藩の浪人が禰宜(ねぎ)町(今の日本橋浪花町、人形町あたりです)に作りましたが、のちに幕府の命で今の新吉原の土地に移転しました。


この曲は花柳寿輔宅の新築祝いの舞台開きの初演ということで、唄の最後に「月と花」で「花」を、「柳の廓寿て」で「柳」、さらに「寿」を読み込んでいます。